第16号 2005年9月
 
長崎・原爆落下中心地公園にて
地蔵パネルを展示

『平和のための地蔵』プロジェクトの準備

クリガー祐幸

8月、アメリカ合衆国、カナダ、ドイツ出身の総勢35名の 西洋人仏教徒が日本を訪れ、広島と長崎への原爆投下60周年 のため巡礼を行いました。この巡礼は、27万にのぼる数の地 蔵菩薩の画像を集め、平和への供養として日本にもっていくと いう、2年間に渡って継続されてきた努力の結晶でした。地蔵 の多くは布に描かれキルトや平和旗に縫いこまれており、合衆 国各州や世界各国、各大陸の人々から寄せられたものです。巡 拝団が出発するときまでには合わせて50万近い数の地蔵が集 まっていました。

出発前夜、堂長を含めた大願禅寺の常住修行者全員が夜の10 時過ぎまでかけて巡拝の準備を済ませました。地蔵のパネル、 つづれ織り、糸に通された折り紙などが寺中に置かれていまし た。すでに日本に送られているものもあり、まだ整理途中の積 み重ねられたスーツケースに入れられたりしているものもあり ました。このプロジェクトの一環として送られてきた何百何千 もの地蔵像に対する深い感謝の気持ちと、これから日本で経験 することに対するわくわくするような期待感とが入り混じった、 高揚した気分がその場に漂っていました。

『平和のための地蔵』というプロジェクトは、人々が自分の 生活の中に平和を育て、それを表現することができるように援 助することをその使命としています。これまでの2年間、ずっ とこのプロジェクトとともに活きてきたわたしは、そういう単 純な願いがどれほど力強いものであるかを目の当たりに見ると いう、ありがたい贈り物をいただきました。地蔵を作ることを 通して自分自身の心の声を見出した囚人たちから届いた手紙。 自分たちが見たりしたことのすべてを同じように深く嘆き悲し み、広島と長崎に持って行ってもらおうと、小さな白布に平和 への願いを表現するという単純な行為によって、心の重荷を少し おろすことができた戦争の犠牲者や退役した兵士たちの物語。地 蔵菩薩と日本の歴史を学び、こころをこめて地蔵の像を作り、 日本に持って行ってくださいとわざわざお寺にやってきてくれ た学校の生徒たち。スタッフの手伝いをしてきたわたしにとっ て、このプロジェクトは平和の海のように広い祈りを入れる容 器であり、またその証言でした。これはわたしの人生において またとない機会でした。

澄禅師、入所者にお地蔵さんを手渡す
折り紙地蔵を手渡す

『平和のための地蔵』プロジェクトのことを知ったとき、胸 にうったえるものを感じたので、わたしはこのプロジェクトが 始動したころからたくさんの地蔵のパネルを作ってきました。 そして自らの内に平和への願いがあることを発見し、またその願いを周囲の人々に伝えていく。このプロジェクトを通しても たらされる平和と癒しに、自分が直接つながっていることを経験してきました。

背が高く雄弁であったわたしの祖父は1940年代に化学技 術者として原爆製造のマンハッタン計画に参加しました。彼は ミサイルを開発することを一生の仕事にするようになりました。 わたし自身のいのちは間接的に祖父のいのちから来ています。 『平和のための地蔵』プロジェクトに参加することで、わたし と祖父のいのちを、善いことのために使い始めることができる ようになったような気がします。祖父はこの春亡くなりました。 『平和のための地蔵』プロジェクトの巡拝で日本へ行くわたし の心の中には、祖父の過去、人に危害を加えることもできれば 親切にすることもできる人間という存在に対して、複雑なもの がありました。

広島・灯籠流し

時間が経ち日本に持っていくスーツケースが積み上げられて いきました。わたしたちは地蔵菩薩の絵で飾られたそれぞれの 布が、どれほど美しいかを話しました。一つ一つの小さな布の 背景には長い歴史と真摯な平和への希望があります。作成され たこれらの地蔵パネルや祈りの旗が、日本で美しく風になびく ことでしょう。

京都での数日は寺院や神社を訪ねました。海を隔てた仏法の 兄弟姉妹たちが、同じように行っている仏教修行の古いルーツ をこの眼で見れたことは、西洋人の禅の修行者としてたいへん 有意義な経験でした。数え切れないほどたくさんの寺院と、角 々に設けられた神社で、明るく騒がしい下町京都の深い優美さ が与えてくれた気分は、残りの旅の間もずっと続きました。

長崎・原爆落下中心地公園にて般若心経の読経

京都の後、わたしたちは蒸し暑さを追いかけるように南に下 り広島に入りました。広島では禅昌寺で暖かいおもてなしを受 けました。そこに宿泊しなければ、わたしたちアメリカ人には 決して知ることができなかった、家族で暮らしているお寺の生 活を体験することができたのです。日本を訪れる大半の巡拝者 はお寺の外側を見るだけだということを知りました。わたしたちの旅は単なる観光ではありませんでしたから、鐘、作務、簡素だけれども美味な応量器の食事といった、お寺での日々の生 活の内側に入ることができたのです。巡礼の全期間にわたって それができたことにとても感謝しています。

広島では平和公園と記念館を見学しました。わたしたちの多 くは事前に原爆投下、戦争、その後の歴史を勉強しながら、今 回の旅の準備をしていました。しかし、破壊的な爆弾が落とさ れた場所に実際に立つという経験、その衝撃に対する準備はす るすべもありませんでした。

記念館には原爆犠牲者の所持品などがたくさん展示されてい ました。衣類の切れ端、穴の開いたかばん、真っ黒に焼け焦げ た弁当箱。そのような展示品を見てから外に出たとき、爆弾の 下でその悲惨さを目撃し、痛みを味わった土地に立つことは、 わたしたちのこころを沈黙させました。そして、なぜわれわれ がそこに来なければならなかったのかという現実に立ち戻らせ てくれました。

地蔵パネル
様々な地蔵たち

毎年恒例の広島平和記念日は、平和を擁護しようとしている 個人やさまざまなグループの大集会でした。爆弾が爆発したの と同じ時刻に「ダイ・イン」が行われました。それはそこにい るすべての人が、その場で地面に倒れ伏すことです。夕方には 無数の紙の灯篭が公園のそばの川に流されました。灯篭の一つ 一つに平和の祈りが書かれていました。

続いて汽車に乗って長崎に向かいました。わたしたちはいろ いろな巡礼地を訪れ長崎での平和記念行事に参加しました。『平 和のための地蔵』プロジェクトは諸宗教団体合同の法要や、市内 での平和パレードといったあらゆる活動に公式に参加しました。

巡礼のなかでもっとも重要だったことの一つは、人と人との つながりということでした。わたしたちは老人ホームや平和記 念日に被爆者たちと直に会うことができました。また、わたし たち西洋人巡礼者と、曹洞宗からのすばらしい同行者や案内人 との間には友情が生まれました。わたしたち全員が、行く先々 で出会った人々との間に生まれた、大変貴重な思い出を胸に帰 国の途につきました。

広島・平和記念像前にて般若心経の読経

世界平和という共通の願いは、言葉や年令、国籍の違いを超 越しています。わたしたちの巡拝団において、それは明らかで した。さまざまに異なる背景をもった人々が、修行と平和とい う共通の目標において、お互いにつながりあうことができたか らです。

『平和のための地蔵』プロジェクトに参加できたことを光栄 に思っています。帰国する前の最後のミーティングで、わたし たちは今回の旅の経験を、自分のものとして消化するには時間 を要するであろうことを話し合いました。「開いた手」の精神 −与えるための開いた手と受けるための開いた手−これこそが 巡拝の精神です。わたしたちが世界に与えようとしたことの効 果の如何を知ることはできませんが、日本滞在中にたくさんの 人々から受けた親切、洞察、平和の贈り物は、遠い故国に持っ て帰ることができた輝く宝石です。

般若心経の書かれた地蔵パネル

 

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